囈語 divagations

ひとりごとは、空気のなかに消えてしまって二度と取りもどせない

活字中毒

ながらくご無沙汰をいたしました。おげんきでしたか。ぼくはげんきでしたよ。

この一ヶ月ばかり、ある出版社からいただいたおしごとで、ひたすら読書漬けの日々なのであった。

椎名誠さんのむかしのエッセイで、とうじ椎名さんの会社の部下だった、本マニアでゆうめいな目黒考二さんが、「ああ、ただ本ばかり読んでそれが仕事になったらいいのになあ」 とつぶやいていたということがかかれていた。その後ふたりはまさに 「本の雑誌」 というそのまんまの題名の雑誌をつくって、めでたく本を読んでいればしごとになる状態にしてしまったのであったが、それもあまりきょくたんだとかんがえものである。

7月はじめから、月末までに、すくなくとも60冊以上の本を読破しなければならないのであった。そのほかにも、関連書とか、参考文献とか、個人的な読書 (そんなときでも、いきぬきにじぶんの本もよみたくなってしまうのが業のふかいところである) もあるから、今月の読書量はおそらくかるく3桁の大台にのっているのではないかとおもう。

そもそも、ぼくはいがいと本をよむのがおそいのである。ちょっと厚めの長篇小説なんかだと、だらだらと一週間くらいかかってしまうこともよくある。集中力にとぼしいのかもしれない。だいいち、いくら読書ずきとはいえ、ほかにもいろいろとこまかいやることがあるのだし。

それが、もうあさからばんまで読書に没頭、である。あさおきたらすぐに前の晩のつづき、である。さすがのぼくも、目の下にくまができて、まさに中毒症状をていしているのであった。締め切り前日のきのうなんか、うとうとしているときに、なんだかよくわからないばけものにおそわれるこわい夢をみた (←マジ)。

それでも、おかげさまでなんとかきょうのゆうがたまでにぜんぶの本をよみとおして、原稿をかいて、出版社にわたすことができた。そうして、さっき電車にのってかえってきたのであったが、ああ、電車の中でぼおっとしているのはひまなのである。苦痛なのである。けっきょく、さっきよみおわったばかりの、もうにどとみたくもない、とおもっていたしごとの本を、またとりだしてよみかえすのであった。つくづく業がふかいのである。

なかに何冊かほりだしものもあったので、次回以降だんだんご紹介しましょう。
  1. 2008/07/31(木) 18:41:40|

カーゴ・カルト

「カーゴ・カルト」 という一種の宗教がある。ごくかんたんに要約すると、以下のようなことである。

太平洋の島々に、むかしながらの生活を平和にくらしていたひとたちがいたのだが、あるときそこに欧米の白人がすみはじめて、現代文明の品物を飛行機でおくりこむようになった。なんだか白人たちは、自分たちはしらない、すげえ良い生活をしているらしい。

でもこの島はもともと自分たちがさきにすんでいたのだから、あの飛行機は、ほんとうは神さまが自分たちにおくってくれたのを、白人が横取りしているのにちがいない。もし自分たちが、なにか神さまを喜ばすようなことをすれば、飛行機は、白人のところではなくて、自分たちのところに、わからないけどなにかすごく良いものをとどけてくれるにちがいない。

というので、よくわからんなりに、みようみまねで、木を切ったりたいまつをたいたり、泥をこねてつくった滑走路とか竹で編んだ信号とか (もちろん実用にはぜんぜんやくにたたない) をいろいろつくりあげて、いつのひか、神さまの飛行機が自分たちの村におりてくるのをひたすらまっている、という部族のはなしである。

その、自分たちだけの神さま、をむかえるために、しまいにはむかしからの農地とか伝統的な宗教とかもぜんぶほっぽらかして、ぜんぜんはたらかないで空をみあげて、飛行機がくるのをみんなしてぼんやりまっている、というドキュメンタリー映画もあった。

ほんとうにそんな部族のひとたちがいたのかどうか、いまでもじつはあれはテレビとか映画のやらせだったのではないかという説もあるのだが、「カーゴ・カルト」 なんていって、「飛行機がいつか自分たちのために飛んでくる」 という信念ばかりが強調されるから、なんだか異常な現象のようにもおもえるけれど、じつはこれはにんげんの、きわめて普遍的な感情なのではないかとおもう。「祈り」 は、「待つ」 ことからはじまるのだ。

じぶんのちからではどうにもできないような良い目をみてしまうと、「まあーあれはたまたまだから、もうじぶんにはないよね」 と、あたまではわかっていながらも、こころのどこかで期待してしまうものである。そうして、そのひょっとしてもういちど、のために、いろいろとしなくてもよいおまじないをしてしまうのである。

ビゼーのオペラ 「カルメン」 で、いちどだけカルメンにやさしくしてもらったドン・ホセが、もういまはカルメンはエスカミリオにべた惚れなのをわかっているくせに、わざわざ匕首をのんでカルメンにあいにいくのは、あれは、カーゴ・カルトではないだろうか。

フィッツジェラルドの 「グレート・ギャツビー」 で、ジェイ・ギャツビーが、夜な夜な馬鹿騒ぎの酒盛りを繰り広げながら、対岸にともる灯をじっとみつめていた、あれは、カーゴ・カルトではないだろうか。

あのひとがへやにくることなんてきっとないのに本棚のほこりをなんとなく拭いているあなた、それはカーゴ・カルトではないだろうか。

そうやってかんがえると、スケールはすげえちいさいながらも、うん、なんだかいろいろわかるよ。
  1. 2008/07/11(金) 01:08:44|
  2. 雑学

タスポのあほらしさ

ほかの地域ではすでに導入されているところもあったらしいが、きょうから東京でも 「タスポ」 が開始されたんだそうである。それがないと自動販売機でタバコがかえない、という、身分証明書みたいなものだ。

先日、新宿にいったら、歌舞伎町のいりぐちに運動会のときみたいなでかいテントがたくさん張られていて、なにごとかとおもったら、「街頭出張タスポ申し込み窓口」 なのであった。こんなところでわざわざもうしこむひとがいるのか、とおもいきや、けっこう盛況なのであった。

ぼくは、じぶんがすでにタバコからとおざかっているからということもあるが、よくもみんな、あんな阿呆らしいことにつきあうものだなあ、とおもう。タバコひとつかうのに、わざわざ生年月日だの顔写真だのをおくって、カードがおくられてくるのを首をながくして待ったりするのである。とどいたら、へえへえ、ありがてえ、なんていって神棚にでもかざるのか。なんでタバコごときすうのにそんなに卑屈にならなければいけないのか。元喫煙者だから、いまでもタバコをすうひとにたいしてはべつに悪い印象はいだかないが、すくなくともぼくはこれでもう、決定的にタバコにみきりをつけた。もうじぶんのお金では一生かわないだろう。

だいいち、タバコ専用の身分証明カードなんかつくって、それは未成年者が自動販売機でかうのをふせぐため、というのであろうが、そんなもの親とかきょうだいとか職場や大学の先輩とか、もってるひとからかりたらすぐかえてしまうではないか。

それならいっそのこと、自動販売機なんかやめてしまえばよいのだ。でも、店でしかかえないようにしても、どうせタバコ屋のおばあちゃんとかコンビニの高校生バイトなんか、17、8のヤンキー兄ちゃんがかいにきてもほいほい売ってしまうにきまっていて、そういう店は 「あそこならかえる」 なんて、評判になったりするのだ。ぼくも高校のかえりにこっそり缶ビールをかってのんだりしていたから、想像はつく。

タバコ業界のひとだってそんなことは百も承知なのである。未成年者うんぬんというよりも、じぶんの金儲けのほうがだいじなのである。タスポだって、自動販売機廃止、身分証明がなければかってはいけない (いま、薬局で劇薬をかうときみたいに) にすればそんなカードつくるひつようないのに、そうすると売り上げが激減してしまうのがめにみえているからしないのである。そのへんは政治家とか自動販売機業界とかカード業界とか製薬会社とか、まあぐちゃぐちゃといやらしい利権がうずまいているのである。そんなことみんなしっているのに、なぜかみなきれいごとしかいわない。タバコ業界の宣伝だって、タバコはからだにわるくて、街がよごれて、火がついているのであぶなくて、まわりに迷惑で、とそんなことしかかいてなくてまるで禁煙キャンペーンの広告みたいである。それで、「でも買ってください」 というのだから、根本的に矛盾しているのである。いっそのこと、「癌になんかなりません! たばこカッコイイ! みんなガンガンすえ!」 とかむちゃくちゃやってくれたほうがいさぎよくてよいとおもう。

未成年者だろうがなんだろうが、どんな対策をとってもすうやつはすうのである。それより、いまの大学生とかわかいひとのうち、たばこをすうひとは、ぼくの実感からして、10 年まえの3分の1くらいになっているとおもう。ぼくが大学生だったときは、もう校舎の廊下に5メートルおきくらいに灰皿が立っていて、大学生の当然のたしなみ、みたいなかんじで、ぼくのともだちだって男の10人中8人くらいは喫煙者だったようなきがする。

で、じぶんがやめてみておもうのだが、タバコってくさいしきたないしあぶないし、あんなケムリなんかすってなにがたのしかったのだろうとおもう。酒盛りのときとかに、たまーにすうのだったらまだしも、まいにちまいにち朝から晩までケムリをふかしていたのだからね。へんなの。

いまの大学生なんて、ほとんどのキャンパスが禁煙だからというのもあるけど、すうやつなんてかなり少数派ですよ。「あれ、おまえタバコすうんだ」 というのは、10 年前だったら親愛の表現だったけど、いまははっきりと、軽蔑、とまではいかないまでも、それほどポジティヴなニュアンスをおびてはいないのである。

まあー、こうやってタバコ業界もいろいろと試行錯誤して、そのたびに馬鹿馬鹿しくなって愛想をつかす喫煙者がふえたらよい。1000 円だってすうやつはすうのだから、じゃんじゃん値上げでもしてくれ。ぼくはいちぬけた。
  1. 2008/07/01(火) 12:35:05|
  2. 雑感

かいているひと

eiju

eiju

いままでかいたこと

話題

ことばをさがす

RSSフィード

おたより


address