囈語 divagations

ひとりごとは、空気のなかに消えてしまって二度と取りもどせない

犬って字をずっと見てると、イヌの顔にみえてくる不思議

図書館で本をよんでいて、ふと窓のそとをみたら、向かいの公民館の中庭みたいなところに、ぞくぞくと白衣のひとがあつまっていた。なんだかものものしい器具がつぎつぎにならべられて、なにごとかとおもっていたら、そのうちに来るわ来るわ、黒いの白いの、大きいの小さいの、毛の長いの短いの。みないちように不安そうな顔をしている。今日は犬の予防注射の日なのであった。

おもしろそうだったので、おりていって見学させてもらいました。「動物のお医者さん」 という漫画にも、予防注射でベテランの獣医がめにもとまらないはやさで注射器をさばくばめんがあるけれど、さすがにプロは手際がよいね。ぺろっと毛をめくってすかさずぷすっと注射である。犬にあばれるすきもあたえない。

ぼくのうちでもまえに犬をかっていたけれど、注射には親がつれていっていたので、ぼくは注射のときにいっしょにいたことはない。でもぼくの犬はとにかくまあ落ち着きのない馬鹿犬だったので、きっと無茶苦茶に騒ぎくるったのではないかと想像するのだがどうだったのだろうか。さすがに東京の犬くんたちは行儀がよい。飼い主の腕のなかで、なんだか悲しそうに観念したようなかおで、粛々と順番をまっているのだった。

それでもときどきは気のちいさいやつもいて、もう公民館の敷地の入り口のところで、ちょっ、ちょっ、話がちがうじゃん、まじ、勘弁! というように、よつあしでふんばっている犬くんもいた。そのままひもでずるずるとひきずられていった。あわれである。やっぱりわかるんだね。注射はだれだっていやである。

東京はやはり都会で場所がないからだろうか、きていたのはほとんどがチワワとかテリアとかダックスフントとかの小型犬ばっかりであった。そういう犬もかわいいけど、ぼくはじぶんで飼うなら、いかにも、犬、というような、でかいのがすきだなあ。ひろい土地に放し飼いにしていっしょにあそぶのだ。こどものころから、ほとんどゆいいつといっていいくらいの、ぼくの 「将来の夢」 である。
  1. 2008/04/23(水) 10:46:56|
  2. 雑感

鬼の首でもとったかのように

なぜか、体重を気にしているひとほど、ダイエット理論にくわしいものである。ヘビー・スモーカーのひとにかぎって、みょうにタバコの害にくわしかったりするようなものだ。

まえにもここでかいたけれど、にんげんの贅肉は 1kg あたり 7000kcal の熱量をもっているので、ぎゃくにいえば 7000kcal をからだのなかでつかいきれば 1kg 体重がへるのである。これはもう、にんげんのからだが有機物でできている以上、だれがなんといおうとそういうものなのである。だから、塩もみマッサージとかサウナとか脂肪を吸収する魔法の薬、とかは、そりゃ汗をかいたり便通がよくなったりすれば、そのぶん体重はおちるかもしれないけど、贅肉はへらないので、真の減量とはいえない。

でも、そういう原理をしってはいるはずなのに、なぜだか、おなかにまきつけてぶるぶるふるえるベルトとか、どれだけたべてもそのカロリーは 1/2 になります! とか、そういううさんくさい商品に希望をたくしてしまったりするものである。はっきり断言してしまうけれど、うえにかいたカロリー計算の原則に矛盾している商品は、すべてインチキだと確信してしまってよい。にんげんのからだって、そういういみでは単純にできているので、その原則いがいに、健康なひとのからだがふつうにやせることはありえないのである。ぼくがそのての通信販売で、これならたしかに効果があるだろうな、とおもったのは 「ビリーズブートキャンプ」 だけである。あれだけまいにちやれば、それはやせるよ。

そう、運動はだいじだ。なにしろいままで肉がついていても健康だった体から、むりに肉をへらそうというのだから、とうぜんからだは弱まる。弱まらないように、体力を維持しつつ、やせるためには、運動であるていどからだをきたえなければいけない。きたえるといってもいきなり重量挙げとかシンクロナイズド・スイミングをはじめるひつようはないので、いままで運動の経験がないのだったら、まずはそのへんをかるーく 30分くらいジョギングや早歩きをすればよい。はじめはつかれるし筋肉痛になるし、なにより飢えてしまうのだけど、これはぼくが約束してもよいが、まず2週間もすれば、からだが 「減量モード」 にかわる。

ぼくは身長 174センチで、これだけとれば体重が増えも減りもしない、という基準が、1日 2200kcal 前後らしい。だから食事を 1400kcal にして、30分くらい走れば (この消費熱量はおよそ 200kcal)、1日にとるカロリーは 1200kcal、およそ 1000kcal の 「赤字」 である。だからそれを7日つづければ 7000kcal、めでたく 1kg 減量できるわけだ。筋肉もつくしからだもひきしまるので体形もよくなる。まあ日によってはビールをのんだりひとと食事したり、そう計算どおりにうまくいかないときもあるけど、それでも2ヶ月もつづければ、おもしろいほどにほっそりしていくのが実感できる。ちなみに、1日に最低限これだけとらないとからだをこわす、というカロリーもだいたいきまっていて、ぼくはそれが 1200kcal くらいであるらしい。ぼくは高校、大学と登山でからだをきたえていたので、まだすこしは無茶もきくが、いままでぜんぜん運動の経験がないひとは、もうちょっとゆるやかなペースでやったほうがよい。

でもさ、たとえば1日 1500kcal ときめたとするではないですか。いままで満腹までたべてきたひとには、うわ、すくない、とおもうかもしれないけど、1500 くらいなら、けっこうたべられるのである。たとえば、吉野家のサイトによると、牛丼の並盛りは 660kcal である。だからこのていどの食事であれば、1日2回完食しても、まだ 1500 には満たない。これに野菜サラダとか牛乳とかを補えば、栄養もとれてカロリーもひかえめである (もちろん、ぼくより身体がちいさいひとや、運動量がすくないひとは、もうすこし減らすひつようもあるかもしれないけど)。

だから、ぼくは 「朝食抜き」 を推奨したいのである。これはまあ、体質もあるので、どうしても朝ごはんをたべないと午前中ぜんぜんうごけない、というひともいるかもしれないので万人におすすめはできないが、だって農業とかの肉体労働者やスポーツ選手ならともかく、午前中そんなに無茶苦茶からだつかいますか。ぼくは、べつになきゃないでいいですよ。

とはいっても、もちろん必要な栄養はきちんと定期的にとらなければいけない。減量をするときにいちばん不足するのが蛋白質なんだそうだ。ぼくはまいあさ朝食がわりに 「プロテイン」 をのんでいます。蛋白質のほかにも各種栄養がはいっているものなら、それだけですくなくとも午前中の栄養はじゅうぶんである。たとえばこういうのね。ちょっとまえ、「マイクロダイエット」 とか、なんか水に溶かしてのむだけで食事のかわりに栄養がとれてやせられる、というものがあって、それは減量の手段としてはわりと有効で良心的だとおもったのだが、はっきりいって異常に高価である。そのへんのドラッグストアで 2000円くらいで売っている粉末プロテインと、ほとんどなかみはおなじなのである。これなら値段は10分の1以下である。

ところで、ダイエットは食餌療法といういみである。もとは食事を改善することでからだのわるいところをなおそう、ということなので、べつに 「やせる」 とか 「体形をきれいにする」 といういみはない。

メタボリックとは 「代謝」 といういみである。「脱メタボ!」 とか、「この夏こそメタボ撲滅!」 とかいうキャッチコピーをときどきみかけるけれど、にんげんに代謝がなくなったら、これはもう、死んでしまうのである。厚生労働省も、「メタボリック検診」 なんていって、このへんのことばを、できたらもっと適切につかってもらいたいとおもう。メタボなんてへんないいかたをしなくても、むかしながらの 「肥満体」 でいいじゃないですか。どちらかというと 「肥満体!」 といわれるほうがモチベーションがあがるとおもうのですが。
  1. 2008/04/17(木) 23:26:06|
  2. 雑学

リセット

30歳になったのだが、われながら悲しいほどにヒヨッ子である。

それより、じつは去年の秋くらいから、じわじわと太りつつあったのである。しつこい風邪をひいて運動不足だったのがおおきな原因だろうとおもうのだが、まえより早寝早起きの規則ただしい生活を心がけるようになったのもよくなかった。まえは夜更かしの朝寝坊だったので、まいにち朝食抜きの1日2食、へたすれば1食というときもざらにあったのだが、早寝早起きすると午前中におなかがすくのである。ぼくはわりと朝でも食欲があるほうなので、おきてすぐにだってカツ丼でもカレーライスでももりもり食べられてしまうのである。それは太る。

そもそも1日3食って、だれがきめたのかしらないけど、戦争直後とかまずしい時代ならともかく、この飽食の時代には多すぎるとおもう。麦ごはんに漬物だけ、というころとはわけがちがうのだ。食事の量がすくないひとはいいかもしれないけど、ぼくは、たべなきゃたべないで丸一日ごはん抜きでもどうってことないのだが、いちどたべるとなるとけっこう大食いなほうである。回転寿司なんていくとへいきで15皿とかたべたりするし、3日分のカレーをしらぬまに一食でたべきってしまってあとからくるしくなったこともある。極端なのである。

とかいっているうちに、29歳にして、体重が自己最高記録を更新してしまったようなきがする。きがする、というのは、体重計にのっていないからわからないのである。なんだか、太るといろいろ無頓着になるというのは本当なようだ。でも、いままではけていたズボンがぜんぶくるしくなりはじめた。このまま30歳になってしまったら、そこでもうとりかえしのつかないことになるだろう、というきがした。

それで、ここ2ヶ月くらい、また減量をしていました。そんなにしょっちゅう減量するんならはじめからふとらなければよいのに、とおもうのだが、やっぱり歳をとるってこういうことなんですね、十九や二十歳のときはちょっとやそっと暴飲暴食したところでべつにどうもなかったのに、いまは覿面に体形に反映してしまうのである。それに、運動してもやせにくくなってしまったようだ。

2ヶ月間、わりときちんと計画をたてて減量を実行したので、体重はおそらく7キロほどおとしてげんざい60キロ、ウェストは9センチおとしてげんざい77センチである。30歳の時点で、20代前半の体形にほぼもどすことができた。鏡をみると、肉がおちてなんだか見覚えのある顔になってきた。あたらしい服もかってごきげんである。もう太りたくないなあ。やっぱりちょっとずつでもよいから運動をつづけることがいちばんだいじなようだ。

ところで、減量中にいちばんやくにたったのは、カップラーメンでしたよ。カップラーメンってからだにわるいし太るとよくいうけど、「ノンフライ麺」 とかいてあるものは、油も少ないしカロリーもひくい。一食 300キロカロリーくらいである。ほかの食事できちんと栄養を補えば、カロリーの計算もしやすいし、けっこう満腹感もあるので、じつはけっこうダイエットによいたべものだとおもう。あと、ぼくは朝ごはんはたべないほうがやはり体調がよい。
  1. 2008/04/11(金) 11:45:06|
  2. 雑感

「デスノート」 をみた

DVDで映画版 「デスノート」 2本立てをみました。うわあ、ふるい。もう何年もまえに話題になった映画だが、もともとぼくはあまり日本映画をみないほうだし、漫画雑誌をよむ習慣もないので、そのへんは数年おくれているのである。きょうみのあるひとはもう漫画も映画もとっくにみているとおもうけど、これからごらんになる予定のかたはご注意ください。

この映画、近年の日本映画にしては健闘しているとおもった。とりあえず、映画2本、ときどきたいくつしながらも、とちゅうでやめたくならなかっただけでもすごい。さいきんの原作つきの日本映画って、「模倣犯」 にしても、「デビルマン」 にしても、「姑獲鳥の夏」 にしても、原作者の営業妨害をたくらんでいるのか?というくらいひどいのがおおいので、映画そのものをたのしめただけでも合格である。死神の造形も、あのなんだかこどもっぽいうそくささもふくめて、よいかんじに再現されていた。れいせいにかんがえると、いくつかりくつのとおらない点もあるのだけれど、それをいったら名作といわれるミステリやSFの作品にだってけっこうあらはあるものだし、そもそも 「顔をしっている人物のなまえをかくとそのひとが死ぬ」 という設定そのものにだっていくらでもつっこみがきくのだから (こどものころの顔しかしらなくてもあいてを殺せるのか?事故や整形手術で人相がかわったときはどうするのか?)、こまかいことはいわない。

それだけに、現在の日本映画のもつ問題点というか限界が、よりはっきりときわだっていたようにおもう。まず、映画制作者の、パソコン関係にたいする無知さ。舞台はいちおう現代日本をモデルにしているのだから、さいしょにLがテレビ放送でブラフをかけたときに、へやにパソコンがあるライトは、まずインターネットをチェックするはずである。「全世界同時放送」 というのだから、もしそれがほんとうなら世界中のニュースサイトや掲示板でいっせいに話題になるはずで、たぶん英語とか外国語もかなりわかるであろうライトが、そのていどの裏もとらないというのはへんである。

あと、インターネットの掲示板 (「2ちゃんねる」 風の) のかきこみが、画面に文字をうちこんでそれを変換して、という過程をへてすこしずつことばがでてくる、というのもへんである (携帯電話のサイトでさえ!)。製作者は掲示板やチャットをつかったことがないのだろうか?演出のためにわざとそうしているのかもしれないけど、いかにも 「パソコンできないひとがなんとなく想像しているインターネット」 のイメージそのまんまである。ああいううそばなしはこまかいところのリアルさがだいじなので、そういうちょっとしたことで現実にはありえないミスをしてしまうと、とたんにはなしぜんたいがやすっぽくなるものである。

つぎに、どうしてもところどころにでてきてしまう、むかしの 「演劇」 のふるっぽさ。テレビ局のまえで、群集が警察官にむかってキラ擁護の野次をとばすときに、あれだけひとがいるのに、ひとりの顔がアップになって 「キラは正義だ!」 みたいなことをいうときだけみんなしずかになって、そのひとがいいおわるととたんにみんなして 「そうだそうだ!」 とさけぶ、みたいな。芝居の舞台だったらそういう演出もひつようかもしれないけど、映画だったら、おおぜいのひとがざわざわしているかんじをもっとほかのやりかたでだせるではないか。製作者はもっと映画のテクニックをべんきょうしたほうがよい。

それから、せりふのつくりかたもいかにも演劇的だなあ、とおもうのは、たとえばさいしょのほうで、警視総監 (かだれかそういうえらいひと) が刑事に、「Lが捜査にのりだした」 みたいなことを告げたときに、「エル……、世界中の警察をたったひとりで動かせるという、あの謎の探偵か」(せりふは正確ではないけど、なんかそのようなこと) とつぶやく、というのは、やっぱりふしぜんである。だっておたがいLのことはしっているはずなのだし。シェイクスピアじゃないんだから、こういう 「観客のための説明的せりふ」 みたいのはやめて、はなしのながれで観客にそれとなくわからせたほうがリアルである。

でも、そういう欠点がすぐみわけられる、ということじたい、それなりにうまくまとまっているという証拠である。ひどいのになると欠点だらけでどこがだめなのかさえよくわからん映画というのもあるからね。藤村俊二さんはまさに適役でじょうずだったし、はなしの構成もよくかんがえられていたとおもう。原作の漫画のほうは、あの悪名だかきジャンプ・システムのせいでやめるにやめられなくなったのだろうと想像するが、12巻もあって、すすむにつれてだんだんなんだかよくわからなくなってしまったもんね。とちゅうでLが死んでしまって、いままでぜんぜんでてこなかったへんなジャリん子みたいのがきゅうに登場してあとをついだりとか。そのてん、映画版のさいごは、なるほどLだったらそういうこともかんがえかねないな、という、原作ファンの裏をかいた展開でよいです。

ちなみに、「デスノート」 の新作のほうは、漫画も映画もまだみていない。なんとなく、みてはいけないようなきもする。
  1. 2008/04/04(金) 15:24:16|
  2. 映画

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